NO MORE NUCLEAR

We've had already enough
南相馬の復興
    原発はもういらない。南相馬市は必ず復興する
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地元の人々の声

2012年3月

益山悠月 (8さい)


わたしは今は東京にいるけれど、本当は福島にすみたいです。

おばあちゃんたちや、お友だちとはなればなれがとてもさみしいです。

じしんがおきて、原発じこがあって、東京にきましたが、
さいしょは何もわからなくて、学校へはいる時にはとてもきんちょうしました。

けれど、ほかにも福島から来てる子もいたのですぐになかよくなれたのでよかったです。

私がいた福島の学校では、2時間しか外に入られないときいて、私がいる東京とはおおちがいです。

福島にいる子たちが、外でたくさんあそべなくてかなしんでいることが私もかなしいです。

私が今までたべていた、お米も食べれなくなってしまいました。

学校の外であそべなかったり、プールにも、
海にも入れないことなど原発じこがおきる前とくらしがぜんぜんちがってとても大変だと思います。

私は、今のせいかつより前のせいかつがいいです。

今のせいかつはさみしいです。

とてもつらいです

早く原発が直ってまた前のせいかつにもどりたいです。

2012年3月10日





2011年3月

齋藤 大 (南相馬市原町区仲町)

東北大震災。太平洋側の各県が自然の猛威によって被害を受けました。
住む家を流された人。
大切な人を奪われた人。
やはり自然災害は、人間のチカラでは抗うことの出来ないものでした。

今、私は福島県南相馬市原町区にいます。
ご存知の通り、ここは国から屋内退避の指示が出ている地域です。
この屋内退避圏の人たちは、原発事故という人災により避難、または屋内退避を余儀なくされており、私たちは大災害の被災者であるとともに、人災による被害者だと思っています。

「原子力は安全だ」
「原子力はクリーンだ」

今となっては、なぜ被爆国がそのような確信が持てたのか疑問ですが、このような事態になるまでは「安全だ」というイメージが長年に渡り、住む人に語り伝えられ植え付けられてきたのだと思います。

今回の原発事故によって、多くのものが失われようとしています。
最悪の事態によっては、恒久的なものになろうとしています。

しかしこのような事態になった以上、原発に対する善悪の判断や、なぜ起こったのか?防ぐことは出来なかったのか?という議論ではなく、
そもそもの根底にある「なぜ原発が必要なのか?」を、今は深く問うべきなのだと思います。

今回の事態で南相馬市からは街の灯りが消え、欲しいものが手に入らず、人が移り住み、何もかもが嘘のように変わってしまいました。
しかし、愛する故郷が復興できると信じているからこそ、このような苦しい状況でも耐えれます。

この願い、想いがあるうちは離れません。

政府が真実を公表することを願います。

ますやま ゆつき (7さい 原町第二小学校)

わたしは、じしんがおきたときは、じどうクラブにいました。しゅくだいをやっていて、とてもびっくりしました。すごくこわかったです。

それから、そとにでちゃダメとママにいわれ、つまらないけど、びょうきになるのはこわかったので、おうちにいました。

今は、はらまちにいないので、はやくかえってみんなにあいたいです。
学校にいって、こうていでおにごっこをしたり、大スキなきゅうしょくのカレーをたべて、おともだちとあそびたいです。

おともだちが、どこにいるのかわからないので、きになってすごくしんぱいです。

はやくはらまちに、かえりたいです。

門馬貴之(南相馬市原町区 美容師)

自分は、地震があった次の日、地元の消防団にはいっているので、余震が続く中、津波警報が出されてるなか海岸沿いまで生存者がいないか捜索にいきました。

自分の、地元の中の地元が、目の前にしたとき、本当何も言葉にはできません。

テレビで放送されてる以上に、被害はすごいです。

自分は、生存者をみつけることは、出来ませんでした。人の手ではどうにも出来ませんでした。でも、亡くなられてた方をみつけたときは、その時は、言葉や涙よりもただ、そこから出してあげたい、家族のもとへかえしてあげたい。自分には、それしか、ありませんでした。

しかし、本当は助かった命が原発によって助けてあげることが出来なかった、命がたくさんあります。

でも、この地震で大切な人や家を亡くされた人達、今だ安否がとれない人達が数多くいます。家族も家も亡くなり一人になった人もいます。

その人の、一人が言ってました。

自分が今、生きてる生きてられるって、ことは、やっぱ意味があって、自然の力の怖さで、誰にだってどうにも出来ないことだったし、誰が悪いわけでもない。だから、自分が今、こうして生きて生きていられてるから、ずっと悩んだり、考えたり、いろんな思いはあるけど、下ばっかむいてちゃなんにもかわんね-、だから、自分は精一杯生きよう。それしか、ねぇ-よ!!って。

何も言えなかった………。自分は、その話を聞く前からずっと自分には何ができる!?って、考えてました。

やっぱり、自分は被災地に行って、髪を綺麗にしてあげる。それによって、ほんの一瞬でもいい、笑顔を取り戻してもらえたり、ほんの少しでもいいから、今からを生きてもらえる力になってもらえたらいい。

それが、今自分に出来ること。だから、今はそれに向かって人を集めてて準備をしています。

一人じゃ限界があるし限りがあるから、でも今、みんなで力あわせて、またもとの南相馬市だけじゃなくて、自分達は被災地全部に行きますが、もとの南相馬市に、なるように、そしてまたみんなが帰れるように一人一人みんなで力合わせて頑張りましょう!!!!

大内 朋枝 (南相馬市原町区高)

私が生まれ育った南相馬市は、
市の面積の多くが福島第一原子力発電所から20km圏内に入るものの、
原発が実際に建っている市ではありません。

そのため、原発が建設される際も、
原町市(現・南相馬市原町区)の反対住民の声は重要視されなかったと、
いまは亡き祖父は言っていました。

この先、この原発事故が終息したとしても、
建設地域ではない理由から、
国や東京電力等からの充分な補償は期待できない、
期待してはいけないと思っています。

それでも、先祖代々から住み続け育ててきた自然豊かなこの土地を守る為、
私達はなんとしてでも復興していくつもりです。

故郷がなくなる事態はなんとしてでも避けたい。そういう想いです。

清川 恵美 (南相馬市原町区中太田)

震災により親戚・知人を失っただけではなく
原発の事故により実家の農業は明るい未来を失いつつあります。

一日も早く原発が沈静化すること。
一日も早く南相馬に戻れること。
一日も早く仮説住宅や雇用の見通しがたつこと。
一日も早く農産業や酪農への風評被害がなくなること・・・願って止みません。

年老いて病弱な祖父母のためにも、父が愛してやまない農業のためにも
一日も早く元の穏やかで静かな街に復興してくれるよう心の底から祈ってます。

竹内 真理奈(30歳・女) 浪江町 原町高校卒業

今回の震災の件で、南相馬市で被災されました方々のご冥福をお祈り申し上げます。

私は直接被災したわけではありませんが、浪江町に暮らしている家族と、1週間連絡がとれずにいました。

南相馬市同様、浪江町もまた壊滅的で、港町は一瞬にしてなくなりました。

さらには原発の件もあり、早々に避難区域にされた浪江町では、津波で流された方々を捜索してもらうどころか、見殺し状態です。

報道さえもされず、双葉郡はほとんど陸の孤島です。

南相馬市は避難待避で物資がなかなか入りづらいと報道されていました。これも酷いとしかいいようがありません。

私の思いは、いち早くこの避難待避区域という、中途半端な立ち位置を回避してもらいたい。今、国民が過剰反応しているため、こうした中途半端な立場が非常に困難してしまう現場の声を、国に理解してもらいたいと思う次第です。

福島の農作物、漁業物もどんどん制限がかけられ、宮城、岩手の復興以上に難しさを感じます。

私はふるさとがなくなる不安にかられています。

阿部 美幸 (南相馬市原町区)

思い出いっぱいの南相馬、原町
帰省するたびに感じる安心感

そんな大切な大切なわたしの故郷が一瞬で地獄になってしまった。
言葉に表せられないくらい、辛く苦しいです。
まったく解決出来ていない原発の問題(>_<)

大切な故郷にはもう住めなくなるのでしょうか?安心感のある原町はなくなってしまうのでしょうか?
そんなことにはならないと信じております。

一日でも早く、みんなが今まで通り、安心して幸せに生活できる南相馬に復興することを心からお祈り申し上げます。
みんなで一緒に心を込めて祈り続けましょう。

井戸川美奈子 (南相馬市小高区)

自宅が原発半径20km圏内のため避難しています。

一向に落ち着かない原発状況。報道を見る度に、思うことは“南相馬市に帰りたい”。それだけです。

地震と津波で家を失った方々へのボランティアや、ぐしゃぐしゃになった町の清掃作業など、小さなことでも、できる限り復興への行動をしたい。そのために、1日でもはやく帰りたい。

自身も被災者でありながら、今も南相馬市のために必死で働いている職員や市民の皆さんのこと、避難生活をしている皆さんのこと、本当に心配です。どうか、体に気をつけてください。

皆の笑顔のために。 南相馬市のために。みんなで乗り越えましょう!!!!!!

佐々木陽子 (南相馬市原町区)

自分の故郷がまさか地震、津波、原発…と重なってしまいこの先、どうなっていくのかが不安でたまりません。

家族も今は避難をし自分の家に帰れていない状況です…。

もし地元に戻れたとしても、いろんな心配事がある…。
…お金、仕事、など…これらの事はどのようになっていくのか、不安です。。。

長い、長い時間がかかると思いますが、本当に心から元の故郷に戻る事を願っています!!

みんなで協力し頑張りましょう!!
つらい時こそ 笑顔 で。。

清川良幸&怜子 (福島県南相馬市原町区南町4丁目)


東北地方太平洋地震におきまして、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げると共に被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

故郷である南相馬市がこの地震・津波・原発問題により、全国へその名が報道された事はとても残念で、悲しみの気持ちでいっぱいです。

母校の体育館が遺体安置所となっていること。

友人・知人の家は津波により流されてしまった。
伝統行事である相馬野馬追で知られ、子供の頃、家族や友達と駆け回った雲雀ヶ原は自衛隊のヘリポートとなっている。
命は助かったが、今なお県外で避難生活を過ごしている。
家族や親戚は避難先でスクーリングや除染作業を受けた。
目に見えない放射能汚染の恐怖がある中、体と家屋が無事だから今こそ何かしなくちゃいけないと避難先から南相馬市に戻った家族や親戚

どれもが受け入れ難く、言葉につまります。

今も収束の目処がたっていない福島第一原子力発電所の放射能漏れ問題では、私は”原子力発電”というものがどういったものであるのか、本当は良く知らなかった事を思い知らされました。

この問題がなければただ漠然と”原子力発電所が双葉・大熊町に存在している”という認識だけで過ごしてしまったに違いありません。

この問題の上に生きる者として、原発問題を風化させる事なく、安心して暮らせる南相馬市を子供たちへ残し、繋げていかなくてはなりません。

その為にわずかでも自治体や国、企業に対して働きかけていかなければなりません。

このサイトをご覧になられている皆様に少しでも共感を頂き、復興へ向けたご協力を頂けたなら幸いなことはありません。

南相馬市の復興を信じて。

2011年3月28日

鎌田 麻子 (南相馬市原町区中太田)

今回の地震があって、まさか自分の地元がこんなことになるとは、想像もしていませんでした。肉親を亡くされたかた、家を失ったかた、たくさんいると思います。言葉もでません。天災とはいえ、津波被害以外にも、原発の問題、それによっての風評被害、この先、南相馬市の復興の兆しも見えてきません。いつ、南相馬市に帰れるのでしょうか。そして、この原発問題のおかげで、帰れたとしても、農業の建て直しはいつできるのでしょうか。どうやって、生活をしていけばいいのでしょうか。

被災後、原発問題が出てから、南相馬市で津波被害にあった地域は、満足な捜索もされず、物資も避難区域、屋内待機地域外までは、運ばれてくるものの、そこからは、市の職員がどうにかしろという状態だそうです。運んでくるドライバーにもちろん選択肢はあると思いますが、この状態を作ってしまった政府は、何もしてくれないのでしょうか。

私は、いつも南相馬に帰ると、小高区にある祖父母の家に行って、近くの村上海岸の堤防に座って、海を眺めるのが好きでした。学校であった嫌なことや、仕事であった嫌なことを、あの海の景色が何もかも癒してくれました。でも、今は、あの堤防や、サーフィンをした海辺や、長い年月をかけて人々が作ってきたのんびりした街並みがもうないと思うと、空虚感でいっぱいです。

今回、東北の沿岸地域の被災地のみなさんも、同じように思い出とともに、慣れ親しんだ土地がなくなりました。

元の町に戻るには、何百年もかかることだと思います。
一日も早くみんなが笑顔で生活できるように、南相馬のために何かしていきたいと思います。南相馬を愛している一市民として。

八津尾 紘之 (南相馬市原町区)

今回の震災に関して、被災された方々のご冥福をお祈りいたします。

福島県南相馬市は原発により避難勧告や屋内退避の範囲になっており、大きな被害が出たにも関わらず、未だ復旧の目途や行方不明者の捜索も進んでおりません。

地震の影響により、家は壁が落ち、瓦は剥がれ落ち、中はメチャクチャな状態ですが、まだ家がたってるだけ運が良いです。
海沿いは、津波により家は倒壊し、陸地に船がながされ、瓦礫の山となっている場所がたくさんあり、全国・全世界のサーファーが愛していたビーチも今や無残な姿に変わっています。

道が復旧されないので、避難所生活では足りない、生活用品も家に取りにいけない。

その家を確認することも出来ない。

逃げる時にはぐれてしまった家族を探すこともできない。

日々、不安と悲しみにくれている方々がたくさんいます。

これが南相馬の現実です。

今、南相馬は国や行政だけでは支えきれない現実を抱えています。

少しでも多くの方々に現状を理解して頂き、南相馬市民・出身者・ゆかりのある方々と共に、復興へ向けての協力を是非お願いします。

堀川淳 (南相馬市)

被災した人や報道される映像を見ると言葉には出来ない悲しみや悔しさなど色んな感情がこみ上げてきます。

せっかく生まれ育った南相馬に人がいなくなり、
帰る場所がなくなるのは絶対に嫌です。

また人が集まる街になるために、精一杯協力します!
力を合わせて頑張りましょう。